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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和56年(ネ)131号 判決 1983年1月24日

控訴人・附帯被控訴人 黒岩キクエ ほか四名

被控訴人・附帯控訴人 国 ほか一名

代理人 有本恒夫 伊香賀静雄 城下道明 後藤伸一 河埜述史 ほか六名

主文

一  控訴人らの本件控訴を棄却する。

二  被控訴人(附帯控訴人)指宿市の附帯控訴に基づき原判決中主文第3項を取消す。

控訴人(附帯被控訴人)らは被控訴人(附帯控訴人)指宿市のため、原判決末尾添付の別紙物件目録記載(一)ないし(六)の各土地につき昭和一七年三月二五日付売買を原因とする被控訴人国に対する所有権移転登記手続をせよ。

三  被控訴人(附帯控訴人)国の附帯控訴に基づき原判決主文第6項を取消す。

控訴人(附帯被控訴人)らは被控訴人(附帯控訴人)国に対し同目録記載(七)の土地につき右同日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

四  控訴費用及び附帯控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)らの負担とする。

事実

〔以下、控訴人(附帯被控訴人)を単に控訴人、被控訴人(附帯控訴人)を単に被控訴人とそれぞれいい、また、原判決末尾添付の別紙物件目録記載(一)ないし(一一)の土地を順次それぞれ単に本件(一)ないし(一一)の土地という。〕

第一当事者の求める裁判

一  本件控訴について

1  控訴人ら

(一) 原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。

(二) 控訴人らと被控訴人指宿市との間において、本件(一)ないし(六)の各土地につき控訴人黒岩キクエが三分の一、その余の控訴人らが各六分の一の共有持分をそれぞれ有することを確認する。

(三) 被控訴人指宿市の右各土地についての所有権確認並びに予備的に所有権移転登記手続を求める反訴請求を棄却する。

(四) 被控訴人国の本件(七)の土地についての所有権確認並びに予備的に所有権移転登記手続を求める請求を棄却する。

(五) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

2  被控訴人ら

(一) 主文第一項と同旨。

(二) 控訴費用は控訴人らの負担とする。

二  附帯控訴について

1  被控訴人指宿市

(一) 主文第二項と同旨。

(二) 附帯控訴費用は控訴人らの負担とする。

2  被控訴人国

(一) 主文第三項と同旨。

(二) 附帯控訴費用は控訴人らの負担とする。

3  控訴人ら

被控訴人らの本件附帯控訴を棄却する。

第二当事者の主張

一  控訴人らの被控訴人指宿市に対する本訴請求事件(以下甲本訴事件という)について

1  請求原因

(一) 黒岩信義(以下信義という)はもと本件(一)ないし(六)の各土地を所有していた。そして、控訴人黒岩キクエは信義の妻、その余の控訴人ら四名は信義とその妻間の子であるところ、昭和三九年一〇月四日信義の死亡により、控訴人ら五名は同人の相続人として法定相続分に従い同人の遺産を相続した。

(二) 従つて、本件(一)ないし(六)の各土地について控訴人黒岩キクエは三分の一の、その余の控訴人らは各六分の一の共有持分権をそれぞれ取得した。

(三) しかるに、被控訴人指宿市は控訴人らの右各共有持分権を争つている。

(四) よつて、控訴人らは被控訴人指宿市に対し、本件(一)ないし(六)の各土地につき控訴人黒岩キクエが三分の一の、その余の控訴人らが各六分の一の共有持分権をそれぞれ有することの確認を求める。

2  請求原因に対する答弁

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実は認める。

(四) 同(四)は争う。

3  抗弁

(一) 被控訴人国(旧海軍省・以下本項において同じ)は昭和一七年に本件(一)ないし(六)の各土地を含む周辺一帯の地域を海軍航空隊の基地として使用するためその所有者から買収することとなつたが、本件(一)ないし(六)の各土地については、控訴人黒岩キクエが同年三月二五日信義の代理人として被控訴人国の買収の申出を承諾してこれを売渡し、もつて被控訴人国はその所有権を取得した。

当時信義は中支方面に出征中の職業軍人であり、控訴人黒岩キクエは同人の妻として郷里である指宿市柳田の実家でその留守を預る身であつたから、同控訴人は信義から明示又は黙示的に右各土地を含む同人の財産の管理処分権及びこれに伴う代理権を授与されていたものというべきである。

仮に、控訴人黒岩キクエに信義を代理して右各土地を他に売渡す権限がなかつたとしても、右事情のもとでは、同控訴人は信義の財産を管理する権限を有していたものであり、かつ被控訴人国としては、同控訴人には信義を代理して右各土地を同被控訴人に対し売渡す権限があると信ずる正当な理由があつたというべきであるから、同控訴人が信義を代理してなした被控訴人国に対する右各土地の売渡は民法一一〇条により有効である。

(二) 次いで、被控訴人国は昭和三〇年一月二八日被控訴人指宿市に対し本件(一)ないし(六)の各土地を売渡し、もつて同被控訴人は右各土地の所有権を取得した。

(三) 仮に、前記売買によつて被控訴人指宿市が本件(一)ないし(六)の各土地の所有権を取得しなかつたとしても、同被控訴人は前記売買により右各土地の所有権を取得したものと信じ、遅くとも昭和三〇年三月一日から所有の意思をもつて平穏かつ公然に右各土地の占有を開始して、今日に至るまでその占有を継続し、しかも、同被控訴人は右占有の始めにおいて右各土地の所有権が自己にあると信ずるにつき過失はなかつたから、右占有開始より一〇年間の経過とともに右各土地の所有権の取得時効が完成した。仮に、右の無過失が認められないとしても、右占有開始より二〇年間の経過とともに右各土地の所有権の取得時効が完成した。

(四) そして、被控訴人指宿市は原審における本件口頭弁論期日において右取得時効を援用した。

4  抗弁に対する答弁

(一) 抗弁(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実は不知。

(三) 同(三)の事実中、被控訴人指宿市が昭和三〇年三月一日以来本件(一)ないし(六)の各土地を占有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)の事実は認める。

5  再抗弁

(一) 被控訴人指宿市は本件(一)ないし(六)の各土地につき昭和四〇年から同四九年度まで毎年納税義務者を信義として固定資産税を賦課した。

従つて、同被控訴人は右固定資産税の賦課処分をすることに、右各土地が控訴人らの所有であることを承認したものというべきであるから、その都度同被控訴人主張の時効は中断したものであり、また、同被控訴人が右固定資産税の賦課処分をしながら、右各土地につき取得時効を援用するのは権利の濫用である。

(二) 右主張が認められないとしても、信義は昭和三一年ころ南九州財務局鹿児島財務部に対し本件(一)ないし(六)の右土地の明渡をするように交渉をしたところ、同財務部から暫時各明渡を猶予されたい旨の回答を得たうえ、鹿児島行政監察局と被控訴人指宿市との間で右問題につき協議がなされたが、その結論は出されずに延引していたのであるから、同被控訴人において、右各土地の所有権を有することを理由に右問題につき一切交渉に応じないとの態度を明確にするまでの期間をも時効進行期間に算入のうえ、右各土地の所有権の取得時効を援用するのは権利の濫用である。

6  再抗弁に対する答弁

(一) 再抗弁(一)の事実中、前段は認め、後段は争う、控訴人ら主張に係る固定資産税の賦課処分は地方税法三四三条二項の課税台帳主義に基づくものであるから、右固定資産税の賦課処分があるからといつて、被控訴人指宿市において控訴人らが本件(一)ないし(六)の各土地の所有権者であることを承認したことにはならない。

(二) 同(二)の事実中、信義がかねて南九州財務局鹿児島財務部に対し本件(一)ないし(六)の各土地をめぐる問題につき交渉したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、右交渉は右各土地の明渡請求ではなく、その換地を要求するものであつた。

二  被控訴人指宿市の控訴人らに対する反訴請求事件(以下甲反訴事件という)について

1  請求原因

(一) 甲本訴事件の請求原因(一)と同じ。

(二) 同事件の抗弁(一)ないし(四)と同じ。

(三) 本件(一)ないし(六)の各土地は登記簿上現在信義の所有名義であり、控訴人らは被控訴人指宿市の右各土地の所有権を争つている。

(四) よつて、被控訴人指宿市は控訴人らに対し、本件(一)ないし(六)の各土地につき同被控訴人が所有権を有することの確認を求めるとともに、主位的に、甲本訴事件の抗弁(二)の売買に基づく同被控訴人の被控訴人国に対する所有権移転登記請求権保全のため、同抗弁(一)の売買に係る同被控訴人の控訴人らに対する所有権移転登記請求権を代位行使して、昭和一七年三月二五日売買を原因とする同被控訴人に対する所有権移転登記手続を、予備的に、甲本訴事件の抗弁(三)、(四)の事由により昭和三〇年三月一日時効取得を原因とする被控訴人指宿市に対する所有権移転登記手続を求める。

2  請求原因に対する答弁

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実に対する答弁は甲本訴事件の抗弁に対する答弁と同じ。

(三) 同(三)の事実は認める。

(四) 同(四)は争う。

3  抗弁

甲本訴事件の再抗弁と同じ。

4  抗弁に対する答弁

甲本訴事件の再抗弁に対する答弁と同じ。

三  被控訴人国の控訴人らに対する請求事件(以下乙事件という)について

1  請求原因

(一) 甲本訴事件の請求原因(一)と同じ(但し、「本件(一)ないし(六)の各土地」を「本件(七)の土地」と読み替える)。

(二) 同事件の抗弁(一)と同じ(但し、「本件(一)ないし(六)の各土地」を「本件(七)の土地」と、「右各土地」を「右土地」とそれぞれ読み替える)。

(三) 右抗弁(三)と同じ(但し、「被控訴人指宿市」を「被控訴人国」と、「本件(一)ないし(六)の各土地」を「本件(七)の土地」と、「右各土地」を「右土地」と、「遅くとも昭和三〇年三月一日」を「前記売買の日である昭和一七年三月二五日」とそれぞれ読み替える)。

(四) 右抗弁(四)と同じ(但し、「被控訴人指宿市」を「被控訴人国」と読み替える)。

(五) 本件(七)の土地は登記簿上現在信義の所有名義であり、控訴人らは被控訴人国の右土地の所有権を争つている。

(六) よつて、被控訴人国は控訴人らに対し、同被控訴人が本件(七)の土地につき所有権を有することの確認を求めるとともに、主位的に、右土地につき昭和一七年三月二五日売買を原因とする所有権移転登記手続を、予備的に、右土地につき同日時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

2  請求原因に対する答弁

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実中被控訴人国が昭和一七年三月二五日以来本件(七)の土地を占有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)の事実は認める。

(五) 同(五)の事実は認める。

(六) 同(六)は争う。

3  抗弁

甲本訴事件の再抗弁(二)と同じ(但し、「右主張が認められないとしても、」を削除し、「本件(一)ないし(六)の各土地」を「本件(七)の土地」と「右各土地」を「右土地」と、「同被控訴人において」を「被控訴人国において」とそれぞれ読み替える)。

4  抗弁に対する答弁

甲本訴事件の再抗弁に対する答弁(二)と同じ(但し、「同(二)の事実中」を「抗弁事実」と「本件(一)ないし(六)の各土地」を「本件(七)の土地」と「右各土地」を「右土地」とそれぞれ読み替える)。

第三証拠 <略>

理由

一  信義がもと本件(一)ないし(六)の各土地を所有していたことは控訴人らと被控訴人指宿市の間において争いがなく、また、信義がもと本件(七)の土地を所有していたことは控訴人らと被控訴人国との間において争いがない。そして、控訴人黒岩キクエは信義の妻、その余の控訴人ら四名は信義とその妻間の子であることは全当事者間に争いがない。

二  そこで、控訴人黒岩キクエが昭和一七年三月二五日に、当時信義から授与されていた同人の財産の管理処分権に基づき同人の代理人として、被控訴人国(旧海軍省)のした本件(一)ないし(七)の各土地の買収申出を承諾して、これを売渡したかどうかについて判断する。

1  まず控訴人黒岩キクエの本件(一)ないし(七)の各土地の管理処分権について検討する。<証拠略>を総合すれば、次の事実、即ち、

(一)  信義は本件(九)の土地上の家庭を生活の本拠としていた黒岩甚次郎(以下甚次郎という)の三男として生れ、成人して職業軍人となり、控訴人黒岩キクエと結婚した(婚姻届は昭和一〇年九月一六日)。甚次郎は本件(一)ないし(一一)の各土地等の資産を所有していたもので、うち本件(五)、(六)の各土地については昭和八年九月一〇日に、うち本件(一)ないし(四)及び(七)の各土地については昭和一〇年五月五日に信義に対しこれを贈与した(これにより本件(一)ないし(七)の各土地は信義の所有となつた)が、その後昭和一一年八月三一日死亡した。そこで甚次郎の亡長男とその妻ハルエ間の子である黒岩典雄(昭和三年生)が家督を相続した(これにより本件(八)ないし(一一)の各土地は黒岩典雄の所有となつた)。ところが、本件(一)ないし(一一)の各土地はその後も登記簿上甚次郎の所有名義のままになつている間に、昭和一七年後記基地建設用地の買収が開始された。

(二)  ところで、控訴人黒岩キクエは信義と結婚後甚次郎の前記家屋で暫時同居してから、信義の軍務先である朝鮮に渡つて同人と暮していたが、同人の軍務の都合により昭和一三年に同人と別れて単身内地に帰つた。しかし同控訴人は亡甚次郎の前記家屋には殆ど居住せず、専ら近在の柳田部落内の自己の実家に身を寄せながら、中支方面の外地で軍務に従事中の夫信義の留守を預つてきた。そして、当時甚次郎の家督相続人黒岩典雄はその親権者母ハルエとともに他家で生活しており、控訴人黒岩キクエとしては昭和一七年後記基地建設用地の買収当時に至るまで、亡甚次郎の前記家屋やその敷地である本件(九)の土地なども信義の所有であるかの如く考えてきた。

以上のとおり認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかして、昭和一三年ないし昭和一七年ころにおける日本の内外の社会情勢にかんがみれば、中支方面等の外地で軍務に従事する職業軍人は特段の事情のない限り、内地における自己不在中の財産の管理処分の代理権をその留守を預る家族に委ねていたものと解するのが相当であるところ、右認定事実によれば信義は当時職業軍人として中支方面の外地で軍務に従事中であり、他方控訴人黒岩キクエは同人の妻として内地でその留守を預る身であつたのであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、信義は少くともその所有に係る本件(一)ないし(七)の各土地についてはその管理処分の代理権を同控訴人に授与していたものと認めるのが相当である。

2  次に、被控訴人国(旧海軍省)の買収申出の有無について検討する。

<証拠略>を総合すれば、次の事実、即ち、

(一)  旧海軍省は昭和一七年揖宿郡指宿町(現指宿市)東方地内の旧多良部落一帯の地域を指宿海軍航空隊基地(以下本件基地という)建設用地として買収することとなつた。そこで、佐世保海軍施設部係官が同年三月二五日右部落の役員らの協力のもとに右地域の土地所有者ら関係住民を柳田小学校に集めたうえ、時局柄本件基地建設の緊急性を説き、関係住民においてその全員が旧海軍省の右買収の申出に応じて他に移転するよう要請したところ、そこに集つた関係住民は誰もこれに異議を唱えず承諾した。そして右係官は、即時その場所において、さらに数日後右部落の公民館(青年小屋)において、指宿町吏員立会下に関係住民らから旧海軍省所定の買収承諾の文書に押印を徴し、その後関係住民に支払うべき土地買収代金や移転費等を決定したうえ、これを分割して支払を受けるなどの買収手続をすすめた。かくして右地域の関係住民は昭和一七年六月ころまでの短期間に他の地域に移転した。

(二)  そして、本件基地の建設は早急に進められて昭和一八年五月ころには飛行機の発着、訓練が行われるようになつて殆ど完成した。その基地の範囲は揖宿郡指宿町(現指宿市)東方字鳥山手南と同東方字新田北両地区の境界東端を基点として北方及び東方に伸長した二直線で挟まれた海側の土地であつて、これには、本件(一)、(二)の各土地の在所である字湯の西、本件(三)、(四)、(八)の各土地の在所である字岩ノ下、本件(五)の土地の在所である字田良湯の畑、本件(六)の土地の在所である字下西通、本件(九)ないし(一一)の在所である字下南通等の全域並びに本件(七)の土地の在所である字本村ノ下の東側部分が包含されている。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、右認定事実によれば、旧海軍省(佐世保海軍施設部係官)が昭和一七年三月二五日柳田小学校に、本件基地建設用地である本件(一)ないし(一一)の各土地を含む一帯の地域の土地所有者ら関係住民を集めて同住民に対し、右地域の土地買収(以下本件基地建設用地買収という)の申出をしそこに集つた関係住民は誰も異議を唱えず承諾をしたことは明らかである。

3  そこで、本件基地建設用地買収の申出に対して控訴人黒岩キクエがこれを承諾したかどうかについて検討する。

旧海軍省(佐世保海軍施設部係官)が昭和一七年三月二五日柳田小学校で本件基地建設用地買収の申出をした際、そこに集つた関係住民らは異議を唱えることなくこれを承諾したことは前記認定のとおりであるが、控訴人黒岩キクエが右の集りに加つていたことを的確に認める証拠がない。しかしながら、

(一)  控訴人黒岩キクエが右の集りに加わつていなかつたとしても、本件基地建設用地買収は関係住民にとつて重大事であり、当時同控訴人の寄遇先は近在の柳田部落内の自己の実家であつたことは前記認定のとおりであるから、直ちに本件基地建設用地買収の申出のあつたことを聞知したものと推認されるし、また、前記認定のとおり、同控訴人は当時外地で軍務に従事中の夫信義の留守を預つていたもので、本件基地建設用地内に信義所有の土地があるのであるから本件基地建設用地買収について相当関心があつたものと推認されるのに、当時同控訴人がこれに異議を表明した形跡は証拠上全く認められない。それのみならず、次の事実が認められる。即ち、旧海軍省(佐世保海軍施設部係官)が昭和一七年三月二五日柳田小学校で本件基地建設用地買収の申出をした際即日その場所で、さらにはその数日後多良部落公民館(青年小屋)で指宿町吏員立会の下に関係住民から旧海軍省所定の買収承諾の文書に押印を徴し、その後関係住民に支払うべき土地買収代金や移転費等を決定したうえ、これを分割して支払を受けるなどの買収手続をすすめ、かくして関係住民が昭和一七年六月ころまでに他の地域に移転したことは前記認定のとおりであるが、<証拠略>を総合すれば、控訴人黒岩キクエは当時右公民館(青年小屋)において係官から本件基地建設用地買収に関する説明をうけて旧海軍省所定の土地買収承諾の文書に押印しているし、その後旧海軍省から土地買収代金や移転費などを二回位に分けて受領していること、また、同控訴人は当時他の関係住民らと同様に本件基地建設用地外に被買収地の代替地を取得して同所に本件(九)の土地上にあつた亡甚次郎の家屋を移築し、以来これに居住するようになつたこと、なお、信義は昭和一八年に外地から同控訴人方に帰つて一時滞在し、その際本件(一)ないし(一一)の各土地を含む一帯の地域が買収され基地になつているのを知つたが、当時これに対する異議を表明しないで、後記(四)認定のとおり昭和二七年ころに至り始めて本件(一)ないし(七)の各土地が自己の所有に属する旨主張したことなどの事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして控訴人黒岩キクエや他の関係住民が押印した旧海軍省所定の土地買収承諾の文書の具体的な文言についてはこれを明らかにする証拠がないけれども、旧海軍省が本件基地建設用地である本件(一)ないし(一一)の各土地を含む一帯の地域の買収の申出をしたうえ、指宿町吏員立会下に関係住民から右文書に押印を徴したことは前記認定のとおりであり、これと<証拠略>を合わせ考えると、右文書は、旧海軍省が本件基地建設用地を買収するについて、関係住民は代金等の買収諸条件を承諾する旨の各売渡者(又はその代表者)連名の承諾書と認めるのが相当である。もつとも、右の点に関し、原審及び当審における控訴本人黒岩キクエ尋問の各結果中、控訴人黒岩キクエが押印した右文書やその後受領した土地買収代金は宅地である本件(九)ないし(一一)の各土地に関するもので、その余の本件各土地に関するものでなかつた旨をいう部分があるけれども、右部分は、<証拠略>に照らし、かつ、後記(二)の認定事実、ことに本件(一)ないし(九)(但し(三)を除く)の各土地の買収代金が当初四分の三だけ支払われたのち、昭和一九年一〇月一三日に残り四分の一も支払われ、後者の分については甚次郎作成名義の領収証まで存することに照らし、措信することができないものであり、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(二)  さらに、<証拠略>を総合すれば、本件基地建設用地の買収代金は多数回に分けて臨時軍事費から支出されたものであるが、うち第一三回の右買収代金の支出決定額は甚次郎所有名義の本件(一)ないし(九)(但し(三)を除く)の各土地及び諏訪園喜一郎ら二二名の所有名義の各土地の買収代金総額に当る七七八三円一〇銭であり、うち本件(一)ないし(九)(但し(三)を除く)の各土地の買収代金合計は九〇八円であつたこと、そして、昭和一八年当時、右買収代金総額七七八三円一〇銭のうち約四分の三の五八〇七円が被買収者らに支払済で、残り約四分の一の一九七六円一〇銭が未払であり、本件(一)ないし(九)(但し(三)を除く)の各土地に関しては、その買収代金合計九〇八円のうち約四分の三の六七九円が支払済で、残り四分の一の二二九円が未払であつたところ、この二二九円は昭和一九年一〇月一三日支払済となり、右金額を受領した旨の佐世保海軍経理部宛甚次郎作成名義の同日付領収証が作成されていること、また、本件(一〇)及び(一一)の両土地の買収代金は前記第一三回の買収代金の支出決定額に含まれてはいないが、右両土地の買収代金四八三円を領収した旨の佐世保海軍施設部宛甚次郎作成名義の昭和一九年一〇月二五日付領収証が作成されていることがそれぞれ認められる。右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、<証拠略>によれば、本件(九)の土地については、登記簿上、昭和二三年九月一〇日に、昭和一七年三月二五日売買契約による債権保全のため債権者たる大蔵省より代位登記の嘱託に基づき、甚次郎から黒岩典雄への昭和一一年九月二八日家督相続を原因とする所有権移転登記が経由されるとともに、昭和一七年三月二五日買収を原因とする大蔵省への所有権移転登記が経由されていること、そして、<証拠略>によれば、本件(一〇)及び(一一)の両土地については、黒岩典雄の家督相続による所有権移転登記を経由することなく、昭和一九年九月九日に、昭和一七年三月二五日売買を原因とする甚次郎から旧海軍省に対する所有権移転登記が経由されていることがそれぞれ明らかである。

(三)  ところで、本件基地建設用地買収に関する<証拠略>には、本件(三)の土地の買収代金が支払われた点の記載がないが、<証拠略>によれば、同土地はその周辺の土地である字岩下一〇四三五番、同一〇四四一番イ、同一〇四四二番、同一〇四四一番ハ等の各土地に取り囲まれた土地であるが、右周辺の土地についてはいずれも、昭和一九年三月に、昭和一七年三月二五日売買を原因として当時の所有名義人から旧海軍省に対する所有権移転登記が経由されていることが明らかである。

(四)  しかして、右(一)ないし(三)に説示した点を総合考慮すると、控訴人黒岩キクエは、旧海軍省が昭和一七年三月二五日にした本件基地建設用地買収の申出を承諾し、数日後旧海軍省所定の土地買収の承諾の文書に押印してこれを旧海軍省に差入れたものと認められる。原審及び当審における控訴本人黒岩キクエ尋問の各結果中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を妨げる証拠はない。

4  そして、旧海軍省の本件基地建設用地買収の申出に対する控訴人黒岩キクエの右承諾は、前記1の認定事実に照らすと、少くとも本件(一)ないし(七)の各土地に関する限り、信義から授与されていた同土地の管理処分の代理権に基づいて同人を代理してしたものと認めうべきである。即ち、信義は控訴人黒岩キクエを代理人として昭和一七年三月二五日本件(一)ないし(七)の各土地を売渡したものというべきであるから、これにより被控訴人国(旧海軍省)がその所有権を取得したものである。

なお、<証拠略>を総合すれば、信義は昭和二一年復員して控訴人黒岩キクエと生活をともにしてきたもので、昭和二七年ころまでは本件(一)ないし(七)の各土地の所有権を主張していなかつたのに、そのころからその主張をするようになつたが、それは、信義が本件基地の跡地の払下げを求める会に属して南九州財務局鹿児島財務部等と折衡するに当り、右各土地につき旧海軍省に対する所有権移転登記が経由されていないことを知つた時期に相応していることが認められるが、右認定の信義による土地所有権の主張の事実等は何ら本件基地建設用地買収(売渡)に関する前示判断を左右しない。また、<証拠略>によれば、昭和二七年に指宿簡易裁判所に係属した申立人・被控訴人国と相手方・松田甚四郎間の同庁同年(ノ)第三〇号土地所有権移転登記手続請求調停事件において、右松田は本件基地の跡地にある同人所有名義の揖宿郡指宿町東方字鳥山土手九〇二七番地の畑外六筆の土地が旧海軍省により買収されたことはない旨述べてその所有権を主張したこと、しかし調停の結果、右松田と被控訴人国の間で、右松田は右買収の事実を認めて被控訴人国に対し右各土地の所有権移転登記手続をする、一方被控訴人国は右松田に対し金二八八〇円で右各土地を払下げる等の合意をし、これにより調停成立となつたが、その後も右松田は真実は右買収の事実はないと考えていることが認められるが、右認定事実も同様に本件基地建設用地買収(売渡)に関する前示判断を左右するものではない。

三  次に、<証拠略>によれば、被控訴人国は昭和三〇年一月二八日本件(一)ないし(七)の各土地のうち(一)ないし(六)の各土地を被控訴人指宿市に対し売渡したことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

そして、本件(一)ないし(七)の各土地の所有名義が現在信義であり、控訴人らが本件(一)ないし(六)の各土地に対する被控訴人指宿市の所有権を、本件(七)の土地に対する被控訴人国の所有権をそれぞれ争つていることは、控訴人らの認めるところである。

四  以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、控訴人らの被控訴人指宿市に対する本訴請求は失当として棄却すべきであり、被控訴人指宿市の控訴人らに対する主位的反訴請求及び被控訴人国の主位的請求はいずれも正当としてこれを認容すべきものである。

よつて、原判決中、以上と理由を異にするが控訴人らの被控訴人指宿市に対する本訴請求を棄却した部分は結論において相当であるから控訴人らの本件控訴を棄却し、被控訴人指宿市の控訴人らに対する主位的反訴請求を棄却して予備的反訴請求を認容した部分及び被控訴人国の控訴人らに対する主位的請求を棄却して予備的請求を認容した部分はいずれも不当であるから、被控訴人らの附帯控訴に基づきそれぞれ右各棄却した部分を取消したうえ、被控訴人指宿市の右主位的反訴請求及び被控訴人国の右主位的請求を認容することとし(これにより原判決中被控訴人指宿市の右予備的反訴請求及び被控訴人国の右予備的請求を認容した部分は当然失効した)、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、九三条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西内辰樹 谷口彰 大沼容之)

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